落ちない汚れ6

世の中バブルは弾け飛んだのだ。倒産の憂き目にあった中小企業は
ごまんとあった。そんな日本経済の世の中に短大を出て2,3年足ら
ずの女の子に50万以上の給料を出す会社があるなんて。。。
 
「ねぇ 一体なんの会社に勤めているの」
 
「バッグとかファッション関係かな?私営業で上の方行ってるから
時々100万とかいく事もあるんだよ」
 
絶句だった。自分の給料とは雲泥の差だ。心が折れる
 
そこにはもうあの頃のいつもニコニコしていて優しくて家庭的な彼
女はなく、自信みなぎるひとりの女性がいるだけだった。
 
朝から晩まで取材や〆切に追われる毎日のサラリーが少なく感じた。
 
楽しい毎日の自分の仕事生活が、急に悲しく思えてしまった。
 
こんな女の子が自分ががむしゃらに仕事して受け取る給与の何倍も
の額を毎月もらっているのだなんて。
 
「でね、うちに来ない?」
 
「へ!?」
 
「今、いくら貰ってるのか知らないけどさ、うちに来なよ」
 
「いやいやいや、いくら給料が良くてもさ、今の仕事が俺には合っ
てるし、仕事仲間とも上手くやってるし 」
 
「嫌なの?」
 
「お給料には魅力を感じるけど、やっぱりねぇ」
 
「いや、お給料は私ぐらいは直ぐにはでないわよ、こう見えても営
業の中でも私は上のほうだから」
 
「そ、そうなんだ」
 
「だから、会長も私の言う事なら聞いてくれるし、仲いいのよ私、
会長と」
 
この娘も随分と変わったものだ。しゃべり方にも自信がある。
 
この会社が彼女をこうまでも変えてしまったのだろうか。
 
「会長さんて、社長じゃないんだ。その会社。」
 
「うん、全国にあって結構大きいのよ。ま、本社は名古屋なんで、
私も名古屋に来たんだけどさ」
 
「ふぅーん」
 
「私が会長に口きいてあげるって」
 
「うん、でも」
 
「実はね、今度イタリアに事務所作る予定になって」
 
「え!」
 
俺の気持ちはこの言葉で揺さぶられた。い、イタリア!
 
イタリアに戻りたい、留学時代の苦しかった事、楽しかった事、言
葉もしゃべれるし、活躍できるぞ。
 
「そう、だから誘っているんじゃないの!」
 
俺にとっては甘い甘い誘惑だった。
 
帰国してから、イタリア関係の仕事に就きたくて、就職活動をした
が、イタリア関係の仕事なんて、この名古屋にはひとつもなかった。
 
「ポンテべッキョ」というフィレンツェの橋の名前を付けた女の子
には有名な宝飾店。ここはタイで宝石を購入して、それを日本で加
工してるだけで、イタリアには全く関係なかった、
 
「ジョルダーノ」というイタリア語の名前のファッション関係の会
社も「うちは香港が本社でね」と言われ、香港の会社がイタリア語
の名前を付けるなと憤慨したものだった。今は大きくなったサイゼ
リアもあたったし、ありとあらゆるイタリア関係だと思われそうな
会社を調べてみたが、イタリアで生活できそうな会社にはとうとう
辿り着けずであった。
 
そんな記憶も蘇らせ、俺の心はだんだんと傾いていった。また、イ
タリアで生活ができるんだ。
 
出版社の仕事は時間には追われたが、美人で優しい先輩や仕事を教
えてくれた先輩方や、俺みたいな男を慕ってくれた後輩たち、今思
うと上司の人たちも嫌な人は一人もいなかった。社長さんもとって
もいい人だった。俺はそんな素晴らしく働きやすい仕事環境を簡単
に捨ててしまった。降って湧いたような突然の誘惑に俺は負けてし
まったのである。
 
数日後の俺は有給休暇をとり 会社の面接を受けていた。
 
大切な仕事仲間を裏切った俺のその後、報いを受ける事になる。