落ちない汚れ19

電話口で一瞬相手が息を呑むのを感じた。
 
うわずった口調で思いもかけない事を言われた。
 
「・・・・OK」
 
不動産の更新を一か月ごとにする。なんて滑稽な話だ。
 
しかし、セントラルにある弁護士事務所の回答がOKになるとは、
言ってみるものだった。相手も奇妙な事に少し喜んでいるように思
えた。
 
しかしこれで、会社が香港撤退の辞令がいつ下りても、家賃を払い
続ける事は避けられた。これで大きな悩みのうちのひとつが解消し
たのだった。
 
何日か経ったある日の事。向かいの部屋に住むインド人からこんな
事を言われた。半年後この部屋を退去しなければならない。更新時
に言われた。2年更新ができなかったのだと。
 
「え?どうしてなんだい。何かあったのかい?」
 
「いや、何かあったって、君の所も更新が来たら分かるよ、このビ
ルに住む者全員退去だよ。やれやれ このビルは古いが広くて気に
入っていたというのに 参ったよ。」
 
「いや、実はうちもこの間更新したんだが、ちょっと訳あって、毎
月更新という事にしたんだ。何も聞かされていないんだが。」
 
「一か月毎の更新とは、まあ それであれば大家からすぐに契約解
除されるからな。」
 
半年後には、このビルを追い出される?
 
だから、弁護士事務所が俺の提案を喜んで呑んだのか。
 
後に分かった事なのだが、香港の不動産バブルの影響で、セントラ
ルのこの弁護士事務所は、大陸の金持ち中国人に売りつけたという。
 
弁護士事務所はその時にある一定の期間から住人に契約をさせずに
全員追い出すよう言われたのだろう。香港のビル一棟購入した中国
人は、その後リノベーションをして、洒落たホテルに建て替えたの
だった。
 
2年契約した後に立ち退き料をもらえたかもしれないのに、俺はつく
づく運のない男だ。
 
一か月更新になり喜んだのは、俺より弁護士事務所のほうだった。
 
そして、周りの住人が立ち退く半年後を待たずして香港支社撤退の
連絡がきたのだった。