落ちない汚れ7

新しい会社での生活が始まってから、約半年が過ぎたある日の事だっ
た。ようやく辞令がおりた。
 
会長みずから声をかけてくださったのだが、行く先はイタリアでは
なかった。
 
「とりあえず 香港に行ってくれ。」
 
それも、出発は明後日から。
 
恐ろしく急な話だった。
 
そんな辞令のおりた日に、前に勤めていた出版社の社長が病気で亡
くなった。社長の身体が悪くなってからは、社長宅の町内会の掃除
に参加したりして、俺は社長や御家族とよく話すようになり、急接
近していた。
 
しかし、それを裏切るように会社を辞めていたのが、つらかった。
 
参列に行ったら、昔の同僚は皆が葬式の手伝いをしていた。久しぶ
りにあった同僚たちと話をする。
 
「明日から海外で働くんだ。」
 
「そう。。。」
 
昔の仲間の目が冷たく感じられたのは、罪悪感からだろうか。そし
て次の日俺はそれを払拭するように香港行きの飛行機に乗り込んだ。
イタリアへは、すぐに行けるさと、希望を持ちながら。
 
「とりあえず、香港」
 
会長の言った言葉を信じて。
 
時は1997年2月1日の事だった。香港の中国返還まで、あと半年先。
現在の空港と違い、当時街中に空港があったので、香港の高層ビル
群の中をすれすれに飛行機が降りたった。
 
香港の空港で待っていてくれたのは、本社の誰からも恐れられてい
た上司だった。今後数年間、この恐ろしい上司と二人っきりで仕事
をすることになる。
 
仕事の内容は、主にブランド物のコスメの買付けと発送だった。
 
ふたりだけで会社の立ち上げを行い、何をするのも二人で行った。
しかし、日本語の通じない海外で一緒に苦楽を共にすると、上司は
俺の事を本気で可愛がってくれた。もちろん仕事なので、厳しい一
面をみせてくる事も多々あったが、当時お互い信頼できたのだと思
う。
 
その頃の仕事の内容は、事務所に着いたら掃除から始まり、溜まっ
て吐き出された本社からくるFAXの整理、そして商品発送をふたり
で黙々とこなした。そして、夕方になると明日の発送の為に泥臭い
やり方で愚直に歩き回ってコスメティックの仕入れをおこなった。
 
来る日も来る日も、何をやるにも二人っきりで作業をした。
 
毎朝、一緒にマクドナルドへ行き、朝食としてホットケーキをほう
ばった。一部門として個人輸入の制度を利用した通信販売の事業
していた会社なのだが、当時、日本から注文書がFAXで送られてい
た。
 
毎朝小さな事務所に出社すると、そこらじゅうにFAX用紙が散らばっ
ているという有様だった。まずはそれを集めて番号を振り、在庫が
ある物と、商品を購入しないといけないものを振り分ける作業を行
う。そして、商品を詰め込んだ封筒や箱に全て手書きでお客の住所
と名前を書き込んでいく。また、これが当時かなりの数量があった
ので人手は二人では足りないくらいの大変な作業だった。
 
その後、自動化し、PCを使うようになり、顧客の氏名や住所、イン
ボイスなど、ステッカーなどに印字される事になるのだが、立ち上
げ当初はすべて手書きで行っていた。それも、日本の住所や名前は、
日本語で記入すれば良いのだけれど、海外だからと思い込み、アル
ファベットで記入していた。今、思えば笑い話となるのだが、海外
でふたりしかいなく何もかも手探りからの始まりだったからである。