落ちない汚れ4

それは大阪の大学に通っていた時に、仲の良い友人が自分の為に開いてくれた合コンの 相手だった。

 

当時、日本はまさにバブルの真っただ中だった。

 

まだ青臭い俺は両親と大喧嘩をして家をでた。

 

「すまんが、大阪まで運転してくれ」

 

車の免許も持っていなかった俺は、友人の運転する軽トラの荷台に一晩のうちに荷物を

詰め込み名古屋から大阪へ向かった。

 

「新聞配達はどうだ?奨学生になれば宿は確保できる。もちろん、身体はきついだろう

けどな」

 

友人の勧めもあり、大学の入学金も払えないので、新聞奨学生となり金を借りた。大阪

での新しい生活がはじまった。早朝4時起きはつらかった。

 

配達所の上に泊まり込み、朝晩と新聞を配った。だからと言って決して、褒められたも

のではない。昼は眠たいので大学の講義は出席をさぼりがちで、正味大学へ通ったのは

わずかだった。卒業式の当日にまで追試を受け、なんとか4年間ギリギリで卒業できた

程度だ。

 

時はバブルだったが、なにひとつ享受した覚えはなかった。

 

学校の仲間は高級な車で登校するのに対し、俺は新聞配達で使うスーパーカブで大学へ

通った。そして大学の講義が終われば、必ず夕刊を配る為配達所に戻らなければならな

い。

 

東京でジュリアナ東京が生まれ、ボディコンの女性たちがお立ち台で羽根つきの扇子を

振り回して踊る姿が見られた時代である。土地の価格や株の価格がうなぎ上りにあがり、

質実な日本人がお金を遊びに使っていた。夜は女の子たちとパーティだ、シャンパンだ、

帰りは高級車だ。タクシーは乗車拒否をする。しかし時はバブルの時代に同じく存在し

ようとも金を持たない者は、女の子と遊ぶような環境にはいなかったのだ。

 

そんな中、俺は同じ新聞配達所の上で泊まりこんでいる奨学生の中で 1人の友人ができ

た。真である。

 

真は地元が近かった。地元には友人がまだ残っており、時々だが俺も真の友人たちと遊

ぶようになった。皆が年頃で彼女が欲しい盛りである。

 

「なぁ女の子と合コンせーへんか?彼女つくろうや」

 

休刊日の事である、彼女がいない俺の為にと皆で合コンをひらいてくれた。大阪の都心

部である梅田まで足を延ばした。合コンの会場は個室がいくつかあり、中心部に色々な

料理が盛られているバイキング形式のレストランだった。

 

これまでそんなレストランに行った事もない俺は緊張した。そして集まった女の子たち

もとても可愛くみえたのだった。

 

「なぁ どの娘がええ?あの娘ちゃうか?自分ずーっとあの娘の事見とったもんなぁ」

その通り俺の目は、ずーっと一人の優しそうな娘を追いかけていた。 そして何年も経っ

たある日、大阪で出会ったその時の娘から名古屋の実家に電話があっ たのだ。

 

「あ、覚えてる?私。今、私名古屋に住んでんねん。名古屋の会社に就職したんよ

会いたいと思って電話したの」